珍しい戸籍の取り扱い2選

司法書士のリアル

こんにちは。窓から見える桜が満開です。我が家のヒヤシンス、ムスカリ、スズラン、ジューンベリーも一気に花開き、庭を眺めては心癒されています。

相続登記の義務化は世間的にも大分浸透してきたようで、日々途切れることなく相続のご相談をいただいています。最近取り扱った実務のなかで、初めて遭遇した珍しい戸籍を2つ、ご紹介します。

旧本所区の戸籍は二度の被災により消失

戸籍の中に「(東京都)本所区より転籍」または「本所区へ転籍」と出てきたら要注意です。本所区の戸籍は今は現存しないからです。本所区とは、今でいうと東京都墨田区の南部にあたります。

以下、墨田区役所HPより抜粋

旧本所区は、大正12年9月1日の関東大震災と昭和20年3月10日の東京大空襲に被災し、当時の旧本所区役所で保管していた戸籍・除籍はすべて焼失しました。

大正12年9月1日の関東大震災当時、地区裁判所に保管されていた戸籍副本及び除籍副本は、被害を免れたため、戸籍・除籍ともに再製されましたが、当時の取扱い回答(注1)に基づき、再製戸籍は、焼失前と同一の内容ではなく、焼失前に死亡や婚姻・養子縁組等で除籍されていた人を除いて再製されました。
 また、その再製戸籍も、昭和20年3月10日の東京大空襲により焼失したので、次の項目に記載する取扱いとなりました。
(注1)大正8年6月4日付け民事第1616号民事局長回答

 昭和20年3月10日の東京大空襲当時に現在戸籍であったものは、地区裁判所に保管されていた戸籍副本が被害を免れたため、昭和15年の取扱い回答(注2)に基づき、焼失前と同一の内容で戸籍が再製されました。
 しかし、除籍については、当時の地区裁判所に保管されていた除籍副本が焼失したため、再製されませんでした。
(注2)昭和15年7月26日付け民事甲第932号民事局長回答

関東大震災で焼失し、さらに東京大空襲により再度焼失してしまったのです。

古くは、多くの犠牲者を出した「明暦の大火」後、幕府は復興にあたり、隅田川東岸の湿地帯であったところを干拓したのが本所地区だそうで、「明暦の大火」の犠牲者を供養するため回向院が建立されたり、隅田川(当時は「大川」「浅草川」などとも呼ばれた)には両国橋が架けられた、とのことです。下町として昔から多くの人で賑わっていたことが想像できるだけに、二度も大きな被災を受けたことに胸が痛みます。

登記の際は告知書を添付する

では、登記実務の取り扱いはどのようになるのかですが、墨田区役所発行の「告知書」を添付すればよいことになります。

「告知書」は関東大震災による焼失と東京大空襲による焼失の2種類あります。いずれも墨田区役所のHPよりダウンロードできます。

次の場合には東京大空襲による焼失の「告知書」を添付します。

  • 昭和20年3月10日より前に旧本所区から転籍したもの
  • 昭和20年3月10日より前に、本籍が旧本所区の前戸主の死亡、隠居等により、家督相続が行われたもの
  • 昭和20年3月10日より前に廃家となったもの

次の場合には、焼失前と同一の内容ではなく、焼失前に死亡や婚姻、養子縁組等で除籍されていた人を除いて再製している旨を記載した、関東大震災により焼失の「告知書」を添付します。

  • 編製時の本籍が旧本所区であること。
  • 編製年月日が大正12年9月1日以前であること。
  • 昭和20年3月10日現在、引き続き旧本所区に本籍があり、再製されているもの

わざわざ墨田区役所に出向くことなく、いつでもダウンロードできるのはありがたいですね。

旧樺太戸籍は外務省が保管している

もう一つ。戸籍に「樺太」の文字が出てきたら気をつけなければいけません。樺太は現在、日本の統治下にないからです。

こちらは外務省の取り扱いとなります。

以下、外務省HPより抜粋

外務省では、以下の旧樺太6村において用いられていた戸籍簿及び除籍簿の原本を保管しております。これらの戸籍簿等の原本は終戦時に現地から持帰られ、その後に樺太庁残務整理事務所やその業務を継承した外務省外地整理室に持込まれたものであり、戸籍法上の戸籍簿ではなく、行政文書のひとつとして外務省において事実上保管されているものです。これらの樺太戸籍簿等については、便宜的に簡易な手続を設けてその開示申請を受付ていますが、これは樺太に関する戸籍事務を行っているわけではなく、保管する行政文書を求めに応じて開示するものです。保管していない場合にはその旨を回答していますが、これは外務省においては保管されていないことを回答するものであり、当該戸籍の滅失等を証明するものではありません。

注意を要するのは次の6村については戸籍を保管している可能性があることです。ただし、外務省は戸籍を扱える権限がなく、行政文書のひとつとして保管しているだけということですので、正式な戸籍というわけではありません。(表現が難しいです・・)

  • 大泊郡知床村 戸籍簿 15冊 除籍簿 3冊
  • 大泊郡富内村 戸籍簿 1冊
  • 大泊郡遠淵村 戸籍簿 4冊
  • 敷香郡内路村 戸籍簿 9冊
  • 敷香郡散江村 戸籍簿 4冊
  • 元泊郡元泊村 戸籍簿 8冊

上記6村については、終戦時に戸籍事務が中断し、戸籍簿及び除籍簿原本が現地から持出されておりますが、その経緯上、終戦時以降の婚姻や出生等、更には終戦後の内地への転籍などはこれらの戸籍簿等には記載されていません。これらの旧樺太戸籍簿等については戸籍法関係の諸規定は適用されないため、同法に基づいた請求等は受付けることができません。なお、上記以外の樺太市町村については、その戸籍簿等が現地から持帰られたのかについては、外務省では承知しておりません。

登記の際には各法務局へ照会する

登記する際の添付書面ですが、何もつけないことが多いようです。旧樺太が日本の領有権が及んでいないことは公知の事実だからです。ただし、事前に各法務局へ照会し、戸籍が取得できない場合の取り扱いを確認しておいた方が良さそうです。

ところが、登記以外の実務においては要注意です。

例えば、自筆証書遺言保管制度を利用して法務局に遺言書を保管している場合、いざ遺言情報証明書を交付請求する際に下記のように戸籍が必要になります。

❶遺言者の出生から死亡までのすべての戸籍(除籍、改製原戸籍)謄本
❷相続人全員の戸籍謄本(発行日が遺言者死亡後のもの)
❸相続人全員の住民票(発行日から3か月以内のもの)

この場合、登記とは違い、「戸籍」の提出が規定されているため、外務省に保管されているのならば取得しなければならないのです。

自筆証書遺言保管制度とは、自筆遺言書の検認が不要になったり、遺言者が利用しやすいように新設された制度であるはずなのに、かえって手間が煩雑だと感じるのは私だけでしょうか・・

旧樺太の戸籍についても外務省へ交付請求し、もし保管がなければ上申書での対応になるかもしれないとのことでした。

戸籍ひとつとっても実に様々な取り扱いがあり、日々勉強です。相続登記の奥深さを感じている毎日です。

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